プロフィール

氏名 粕尾将一(かすおしょういち)

生年月日 1986年3月18日生

出身  栃木県

身長/体重 178㎝/60㎏

<肩書>

シルク・ドゥ・ソレイユ Skipping Ropesアーティスト
縄跳び競技アジアチャンピオン
縄跳び競技全日本チャンピオン
日本ロープスキッピング連盟 副会長

PDF版プロフィール

【競技実績】

◆FISAC-IRSF World Rope Skipping Championship
個人総合6位(2006年, Toronto)

◆ARSF Asian Rope Skipping Championship
個人総合1位(2009年, Hong Kong)
個人総合1位(2005年, マレーシア)
個人総合1位(2004年, タイ)

◆全日本ロープスキッピング選手権大会
個人総合1位(2008年, 千葉)
個人総合1位(2007年, 千葉)
個人総合1位(2005年, 埼玉)

【職歴】

Cirqeu du Soleil La Nouba 2010年〜
日本ロープスキッピング連盟(JRSF) 副会長 2013年〜
NPO法人アクティブつくば まっちゃんのなわとび教室 2007年〜2010年

【指導歴】

Cirque du Soleil La Nouba 技術指導および一部振付 2014年
Cirque du Monde Orlando ワークショップ 2014年
アクティブつくば まっちゃんのなわとび教室 2007年〜2010年
日本国内小学校 約300箇所 2002年〜2010年

【受賞歴】

筑波大学学長賞 2007年
筑波大学体育会賞 2004年、2005年、2006年、2007年
つくばスポーツアワード 大賞 2005年

【縄跳びとの出会い】

自分が縄跳びを始めたのは高校2年生の時です。
当時、偶然インターネットで見つけたプロなわとびチームNAWA-NAWAの演技を見つけました。
彼らの演技はこれまで自分の見た縄跳びとは全く違う、フリースタイルという縄跳びでした。
NAWA-NAWAに魅了された自分は、早速彼らと連絡を取り一緒に練習をさせてもらうことに。
そこから競技としての縄跳び「フリースタイルなわとび」を始めました。

【縄跳び競技時代】

フリースタイルなわとびに出会ってからは毎日が縄跳び。
毎晩自宅の裏路地で縄跳びの練習をし続けていました。
当時はNAWA-NAWAの2人が世界選手権に出場するという話を聞いて、自分も将来は競技大会に出場したいと夢見ていました。

時が流れ2003年に初めての縄跳び競技大会「第2回アジアロープスキッピング選手権大会」に出場します。
中高生部門に出場し、初出場で初優勝。縄跳び競技人生がこの大会から始まりました。
その後2009年の第5回アジアロープスキッピング選手権大会で個人総合優勝をし、6年間の競技人生を終了しました。

【縄跳び指導との出会い】

フリースタイルなわとびに取り組む一方、同時に小学校への出張授業を始めました。
地元の学童クラブや児童館で「なわとび名人」「縄のまっちゃん」として小学生になわとびを教えたのがキッカケです。
みるみる子どもと一緒になわとびをする楽しさに目覚め、初めてとなるホームページも作り広く出張授業を募集しました。
手探りながら「どうやれば楽しくなわとびが出来るか?」「子どもが上手になるコツはなにか?」を考え始めたのもこの頃です。
最初は年に数回程度だった出張授業の依頼も2008年には年間100箇所を突破。
小学校でなわとびを行う冬のシーズンは毎日、日本の何処かで出張授業をする日々でした。

また2007年より、茨城県つくば市にて「まっちゃんのなわとび教室」を開始しました。
日本で初めてのなわとび専門の教室です。最初は生徒数10人弱で小さな会議室から始まりました。
年々生徒数も増え、自分が直接の指導から離れる2010年には60名を超える生徒、通算では200名を超えました。
また当時の教え子たちは今も競技なわとびの第一線として活躍し、2014年の世界選手権では世界チャンピオンに輝きました。

【シルク・ドゥ・ソレイユへの入団】

2009年の競技引退のわずか2ヶ月後、世界的に有名なサーカス団「シルク・ドゥ・ソレイユ」より出演のオファーが来ました。
当時は在籍していた大学院を中退、一念発起で単身サーカスの世界へと踏み入れました。
未知の世界へと踏み入れる高揚感、縄跳びだけで頑張れるかという不安が入り混じりながら2010年に渡米。
2015年まで「シルク・ドゥ・ソレイユ」の「ラヌーバ」というショーで縄跳びアーティストとして出演していました。

ショービジネスの世界には多くの発見や気づきそして出会いに溢れています。
縄跳びで何が出来るだろう、縄跳びの可能性はなんだろう、日々、自問自答しながら1回1回のステージに向かい、6年間で約2500回のショーに出演。

2015年一杯で契約満了となりラヌーバを離れました。